2015.11.7

川上未映子『あこがれ』読了。麦くんがミス・アイスサンドイッチを想う気持ちは、あの時点では見返りを求めるものではない。むしろ、彼はクラスの女子たちがあの子とこの子が「付き合う」だなんて言葉を使って騒いでいる状態に辟易すらしている。わたしはやっぱり、幼い頃に純粋に誰かを大切に思う気持ちは、この上なく美しいものだと思う。しかしいつかは、(たとえばもし)麦くんがヘガティーと恋に落ちたりなんかしたら、麦くんはヘガティーに自分のことを理解して欲しいと思うようになるのだろう。大人になるということは、親以外の誰かに自分の存在を承認してもらう(もらいたいと願う)ことなのかもしれない。承認を得られたら、今度は理解を欲する。だけど、完全に理解し合うことは不可能だ。自分と世界、自分と他者の間の絶対に埋められない壁を認めて孤独を受け入れていく過程もまた大人になることとイコールだ。こんなことを、その後、福永武彦『草の花』を読んだ際に考えた。解説にもあったけれど、藤木は決して愛の理想郷の中にいたわけではなく、愛されるという見返りを強く(しかも、自分が愛するのと同じかそれ以上に)求めていたからこそ苦しんだ。漱石の作品を読んでいても、同じような葛藤に出会うことがある。しかし、わたしは半年ほど前に読んだ川上未映子『きみは赤ちゃん』のおかげで、この葛藤のループから脱する光を見た気がした。どんな光か?続きは、未来のお楽しみ。

 

やっぱりある程度はアウトプットしたほうが、良いなあ。無理のない程度に、続けよう!